そうか。つまり私は両親が嫌いなのだな

Pocket

理人です。

おはようございます。

昨日まで駆け足で幼少時代から高校卒業までの私の人生を振り返ってみました。

自分の記憶をたどりつつ、それを文章の起こしてく作業というのは私のように生き辛さを抱える人間にとって有意義なことなのです。

過去と今は緩い糸で繋がっていて、その紐をたどることで色々なことが見えてくる。新たな気づきを得られるかもしれない。私はそう思っています。

一旦ここで私の振り返り記事は終わりにしようと思っています。大学から社会人編はまた気が向いた時に書くとして、少し記事の趣向は変えたいなと。

このブログはただただ私が書きたいことを書くブログと位置付けていますから、まあ何を書いてもいいわけですし。

4回に分けて書いた「過去の自分から今を知る」ですが、ここから気付いたことをまとめておきたい。

気づき①:家庭は居心地のいい場所ではなかった

幼少期は特に居心地が悪く、心安らげる場所はトイレくらい。トイレにTVとかついていて一日中引きこもれればいいのにと妄想していたくらいです。

大人になっても基本実家は居心地のいいものではありません。やっぱり私は幼少期に受けた親からの暴力を心のどこかで許せていないのかもしれません。

気づき②:基本的に親に逆らわず良い子ちゃんであろうとしてきた

親の思いをそんたくし過ぎたのでしょうか。結局、最後には親の意見に従って進む道を決めてきたのではないかと思います。大学進学–>就職–>結婚。これは普通の親が子に期待する普通のことなのでしょうが。

気づき③:両親に対する今の歪んだ気持ち

今の私が両親に期待することは「私たち夫婦のことは放っておいて欲しい」ということです。距離を置きたい。母の日だとか父の日もいらない。誕生日のお祝いメールもいらない。盆暮れ正月も帰らないし帰りたくない。電話もいらない。メールもいらない。私の知らないところでただ健康で長生きして幸せでいて欲しい。

これが正直な今の私の思いなのです。本人らには言えませんけどね。でも、態度でわかってしまうでしょうね。

両親のことは嫌いなんです。はっきり言ってしまうと。幸せな家庭に生まれて育った人はわからないかもしれませんが。

過去4回の記事の中で両親がたびたび登場します。中学生時代がもっとも楽しくてキラキラしていたと思うのはなぜか、この時代を振り返ると「両親との辛い記憶」がないからだと気づきました。

中学時代は特に殴られることも、あれこれ指図を受けたことも、テストの点で叱責された記憶がないのです。だからなんですね。精神的に楽だった。

高校時代は成績が落ちたせいもありますが、人生に介入する両親の存在がうっとうしかった。今も隙を見せると介入されてしまう恐れがあります。

なるほど。両親からの介入は私にとってマイナスなんだ。だから無意識に壁を作るし、距離を取ろうとする。本能がそうさせているのかも。

自分というものの輪郭が少し見えてきた。

私は両親のことが嫌いなんだ。それがちゃんと認識できたこと。なぜ嫌いなのかもちゃんと分かった。そして私の今の両親への接し方の根本は「介入されることへの抵抗感」から来ている。

これが私の気づきです。

霧で曇っていた視界が少し晴れてきた。

おわり