「すべてを手に入れる」にはどんな意味があるでしょうか ? 実現可能ですか ?
「すべてを手に入れる」
誰しも一度はそんな野心的な言葉に心を躍らせたことがあるのではないでしょうか。それは、きっと自分が望むものすべて──富、名声、地位、そして理想のパートナーなど──を手中に収めることを意味しているのでしょう。
この「欲望」こそが、資本主義社会の根幹を支えている原動力です。人は満たされることのない欲望に突き動かされ、努力し、競争し、成果を求め続けます。その営みこそが経済を回し、社会を発展させてきたのです。
では、「すべてを手に入れる」ことは可能なのか?
私は、これは「可能」だと思っています。もちろん、誰にとっても簡単ではありません。しかし、それを目指す行為そのものが、人間の本質を突いた非常に深い問いでもあります。限界を超えようとする意志、自分の理想像に近づこうとする生き方。こうした姿勢は、間違いなく人間を人間たらしめている。
ただ、忘れてはならないのは、「得るものがあれば失うものもある」という事実です。多くを手に入れる過程で、時間や健康、人間関係などを犠牲にしてしまうこともあるでしょう。努力の陰には、他者からの嫉妬や孤独、時に心の疲弊が潜んでいるものです。
そして何より、人間はいつか老いていきます。どれほどの富や名声を手にしたとしても、最後には全てをこの世に残して、静かに永遠の眠りにつくのです。
そう考えると、人生とは「すべてを手に入れる」ための旅というよりも、それを目指して懸命に生きる過程──その“暇つぶしの遊び”のようなものかもしれません。
だけど、その努力に満ちた時間こそが、美しく、尊く、かけがえのないものなのではないでしょうか。
何かを夢見て、全力で生きる。
それが「すべてを手に入れる」という言葉の、真の意味なのかもしれません。
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