東日本大震災から7年

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3.11が今年もやってきた。あれから7年もの歳月が流れた。

あの日のことを今もよく覚えている。

私は静岡支店で勤務していて、地震発生時は勤務時間中だった。

揺れが収まるまで机の下に隠れたが、気味が悪いくらい長い揺れだったことを覚えている。

揺れが収まって、私は何事もなかったのように仕事に戻ったのだが、しばらくして周囲がざわつき始めたことに気づいた。

テレビのニュース映像から津波の映像が流れてきたからだ。この時初めてことの重大さを知った。えらいことになったと思った。

テレビの前でニュースを眺めていても仕方ないので私は仕事に戻り、定時で仕事を切り上げて家に戻った。

嫁さんは地震発生時、車の運転中だったらしく、地震の揺れはほとんど感じなかったそうだ。

夜になって気仙沼の石油タンクが炎上して真っ暗闇の中を炎が轟々上がっている景色はこの世の地獄を思わせた。そしてこの瞬間にもたくさんの命が消えていくのを私はただ何も出来ずに黙って酒を飲んで見ていたと思う。

あれから7年か。

この間、私は結局被災地に行くことはなかった。自らボランティアもしなかったし、街灯募金もしなかった。

被災地の現状を行ってこの目で見たい気はするのだが、足が向かわないのはやはりまだ多くの悲しみが被災地にはあるからだろうか。

震災の死亡者は18000人超。未だ遺体すら見つからない方もいるという。

残された家族の悲しみも計り知れないものがあるだろう。

あれからもう7年というが、大切な人を地震で亡くした方からすればたったの7年なんだと思う。心の傷は一生消えないことだってあるからだ。

まだまだいつ終わると知らない長い悲嘆の中で苦しんでいる方もたくさんいることだろう。

人間はそんなに強く生きれないのだ。

過去にとらわれ続ける生き物だし、一人ではやっぱり生きていけないか弱い生き物だ。

被災地に足が向かわないのはこうした現実を目の当たりにするのが怖いからかもしれない。

大勢が無念の死を遂げた土地に私のような悲しみを知らない能天気な人間が軽々しく観光がてらに行っていいところなのだろうか。

震災から7年。そんなことをまだ考えている。

おわり