新しい風、再び吹く
わが社では毎年、新卒で入社した社員たちが、4月から6月にかけての約3ヶ月間、じっくりと社内研修を受け、7月から各部署へと配属される。
この時期になると、研修中の若者たちの元気な挨拶が朝のオフィスに響きわたり、春から初夏にかけての風物詩のようにも感じられる。
私もなるべく大きな声で返すようにしているが、あの勢いに押されそうになることもしばしばだ。先日も、営業部の業務説明を聞きに、キラキラした目をした研修中の女性社員が2人やってきた。
正直、普段の生活で若い女性と接する機会などない中年のおじさんとしては、なんだか照れくさくなってしまった(完全におじさんである…)。
彼女たちの眩しいほどの純粋さに、自分にもあんな頃があったのだろうかと、ふと昔を思い出したりもする。だが、鏡に映るのはすっかり疲れの滲んだ中年の顔。ずいぶん遠くまで来たものだ。
そんな中、今年も私の課にも1名、新卒の新人が配属されることが決まった。昨年に続き、若い風がまたひとつ吹き込んでくる。新しい仲間が加わることは、やはり素直にうれしいものだ。
とはいえ、私は今まで何人もの新入社員を見てきたからこそ、彼らの道が決してバラ色ではないことも知っている。
はじめは元気だった朝の挨拶も、数ヶ月も経つと徐々に声が小さくなり、やがて聞こえなくなる。連日の残業、頻繁な接待、崩れる生活リズム。
そして気づけば「週末のために働くだけ」の状態になり、目からは生気が失われていく——。
いい大学を出て大企業に入ったからといって、刺激的な仕事や裁量の大きな案件が与えられるわけではない。
大半の業務は退屈極まりなく、多少失敗したところで会社の行方には微塵も影響がない。
むしろ、大企業に求められるのは「つまらない仕事を責任感をもってこなす力」だ。つまり、嫌なことでも淡々とやり続けられる粘り強さが、社畜としての資質というわけだ。
だからこそ、大企業は一流大学の出身者を好む。学歴そのものよりも、厳しい受験戦争を勝ち抜いてきた「耐える力」こそが武器になるからだ。
ただ、すべての人がそうした環境に適応できるわけではない。配属早々に5月病のような状態になり、出社できなくなる若者も少なくない。
過度にプレッシャーを感じたり、周囲との人間関係が上手くいかず精神を病む若手もいる。実にもったいない話だ。
だから、もし自分がその道に向いていないと気づいたなら、仕事が辛くて仕方ないと感じたら早めに方向転換するのも一つの選択だ。
無理して心と体を壊すより、潔く別の道を模索した方が、長い目で見れば幸せになれることだってある。
とはいえ、やってみなければわからないことも多い。だからこそ、今年配属される新人にもまずは肩の力を抜いて、自分なりの歩みを始めてほしいと思っている。
私たち管理職にできるのは、その道を少しでも歩きやすく整えてやることだけなのかもしれない。道を逸れ始めたら軌道修正を試みる。つまり彼ら彼女らに寄り添って伴走してあげる。そういうことが求められているのだと思う。
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