出世に夢も希望も無くなった

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大卒で就職し、身を粉にして馬車馬の如く働き、やがて課長に昇進する。

多くの社畜のとって課長のポジションが重大なマイルストーンだろう。

しかし、昔ほど管理職に対する憧れのようなものは薄れつつあり、人生を犠牲にしてまで目指すべきポジションなのか疑わしい。

何故か?

会社の金を使えないから。それだけ。

昭和平成の時代は課長まで上り詰めればある程度自由に会社の金を使えたものだ。

部下を引き連れてキャバクラに行っても、クラブに行っても経費で落とせたし、帰りはタクシー当たり前。

会社の金を使って偉そうな態度で「俺様は課長だぞ!」と部下たちに威圧をかけ一定の威厳を得ることができたものだ。

いやいや、あんたの金じゃねーだろ。とツッコミを入れたくなるものだが、良くも悪くも自分の裁量で使える金があるのとないのでは同じ社畜でも雲泥の差である。

あまり派手に使いすぎると経理に目をつけられ下手すると経費で落とせなかったりするので慎重にやる必要はあるが、まぁ昔はガバガバだった。

個人で飲食した費用も上手くやれば経費で落とせるのだ。

自腹では絶対に行けないような高級レストランに顧客との会食と称して行くことができるのだ。

しこたま美味い料理と酒を楽しんでヘロヘロになったら勿論二軒目はキャバクラだ。そしてベロベロに酔っ払い、タクシー呼んで帰宅する。

金額にして一晩で10万円ほど経費を使えるというわけ。こんな出費、しょぼい月給から出せるわけがない。

毎月こんなこと贅沢を会社の金で出来るのが家長なんです。

手取りの給料が少なくても、経費という罰のお財布を自由に使える。

だから昔のサラリーマンは皆こぞって課長を目指したのだ。それこそ多くを犠牲にして。

で、今はどうか?

会社の経費は厳しく管理され、自由に使えるような金は与えられない。

領収書を誤魔化すことも非常に難しい。

タクシーチケットさえも管理が厳しく、いつ何時使ったのか?何故その必要性があったのかなど細かく後で経理から聞かれるわけだ。

息苦しい。真っ当な理由でさえ疑われるわけだ。まあまともになった言った方がいいけど。

課長になったからといって会社の金を自由に使えるなんてことはもうあり得ない。古き良き昭和の幻想だ。

会社に人生捧げて課長になったとしても、昔ほど報われなくなった。

むしろ中間管理職として上と下の板挟みになって苦労が絶えない。

さらに悪いことに組合からも抜けることになるので、36協定も適用外だから無制限に働くことができてしまう。

多少給料は上がるものの、不利益も多いし昔あった課長の威厳もなければ会社の金も自由に使えない。

なんとも夢のない話である。

会社にしがみついて、社内政治に明け暮れ、課長になったとしても人材価値はゼロで、他社で使えるような技能も能力もない。ただの無能なおっさん。

若い人は必死で課長など目指す必要はなく、地に足をつけてしっかり能力を開発することに集中したほうがいい。

そしてどこに行っても通用するスキルなりを磨く事だ。

おわり