理人です。
自己紹介ページでも書いておりますが、私は一度転職を経験しています。
転職に至った経緯などはまたおいおい記事にしたいと思っていますが、今日は前職で頻繁に出張で行っていた台湾のことを書きたいと思います。
最初に担当した地域が台湾だった
就職氷河期真っ只中の2003年に私は大学院を修了してとある化学メーカーに就職しました。研究開発職で応募したのですが、専門試験より英語の試験が良かったため、海外営業部に配属されることになりました。
当時、海外事業はまだマイナーな事業で人数も少なく、部長筆頭に庶務を含めて13人か14人程度のとても小さな所帯でした。
そんな部署に配属された私は年の近い先輩(確か2-3年上の先輩)の下についてまず台湾一国を担当することになりました。
ビジネスを一通り理解するには最適だと思ったのでしょう。それは間違っていなかったと思います。
台湾には多いときは月2回ほど通っていた
距離的には東京から3時間程度でいけちゃうので、けっこう頻繁に出張させてもらっていました。当時子会社が台北にあったのですが、取引先は地方にもたくさんあったので、情報収集、商談をかねてけっこう頻繁に地方都市にもいきました。
まだ台湾新幹線が開通する前の話ですから、台北から自強号という特急列車に乗って台中とか台南といった都市に出掛けたりしました。
中国語は全くできなかったけど仕事は楽しかった
私は中国語は全くできませんでしたし、今でも殆どできないのですが台湾の人は本当に優しかった。
列車の切符を買うのに戸惑っていた私を助けてくれたこともありましたし、バスを待っていたら気さくに日本語で話しかけてくれるお婆さんもいました。
ビジネスにおいて決して甘くはなく、正直、価格が絡む商談は厳しかったけど、商談が終わったらとてもいい人で何件も飲み屋をはしごすることもありました。カラオケも何度も行きました。
乾杯、乾杯(つまりいっき飲み)で何度もトイレにいっては吐いて苦しい思いもしましたが、それも今となっては懐かしい良き思い出として残っています。
大学出たての若造(当時25ー26才)が生意気な口を聞いて、随分相手に不快な思いもさせてしまったろうと思います。ごめんよ、劉さん。
それでも私をいちビジネスマンとして扱ってくれた台湾のビジネスマンには感謝しかないです。本当にありがとうございました!!!たくさん勉強させてもらいました。
台湾に仕事の基礎を教えてもらった
前任者の引き継ぎで1度か2度は出張に同行してもらい、客先まわりを一緒にしたと思いますが、そのあとは私が一人で顧客を担当することになりました。
特に用事がなくても寄ることができるのが台湾のいいところで、いわゆる営業の役割というものを体感として学んだのは台湾担当時代でした。
足で情報を稼ぐ。これを経験できたことはその後のキャリアにも大きく影響したと思います。
そして台湾で経験し学んだことが他の国を担当する時もかなり役にたちました。押さえるべきポイントがわかるようになったのです。
またいつか台湾に行きたい
私のサラリーマンとしての原点である台湾。いろんなことを教えてくれた台湾。美味しい料理をいっぱい食べた台湾。夜の怪しいネオン街の台湾。またいつか行きたい。
新幹線にも乗ってみたい。昔よくいった地方都市にも足を伸ばしてみたい。最後にいったのはちょうど10年前。随分街も変わったでしょう。
こんな記事を書いていたらまたやりたくなったことが一つ増えました。遠からざる将来、このブログで台湾旅行記を書ければなと思います。
おわり