嫁さんが実家に帰ったのは実は祖母が危篤だから。
あと、どれくらいもつのかはわからないが、そう長くはもたないだろう。
80を越えた年齢であるし、一旦寝たきりになるともとの状態に戻るのは難しい。
悲しいことではあるが死は避けられないことであり、止めようにも術がなく、ただただ祈るしかない。
嫁さんは祖母のことを大変慕っており、そのショックは計りしれない。
私のように心がすれていない純粋な人だから「肉親の死」というものはとてつもなく大きい衝撃を彼女の精神に与えるに違いない。
心が引き裂かれるような悲しみが彼女を襲うに違いない。
実は嫁さんの両親は数年前に事故で他界している。
この時、彼女の心は一度死んだのだ。
それ以来、絶望がこの世を覆いつくし、いつ明けるかわからない長い長い夜がまだ続いている。
そんな絶望の夜に一筋の灯りを与えてくれたのが彼女の祖母だった。祖母は彼女の唯一の心の支えだった。
その祖母が天国に旅立とうとしている。
長いトンネルの先に見えていたわずかな灯りさえももうすぐ消えてしまう。
私が夫として彼女の太陽のような存在になれればいいのだが、私は全くひどく無力である。情けなくなるほど何もできない。
心の底から彼女の悲しみを理解し、共有し、分かち合い、泣いてやることが私には出来ない。
社畜としての人生が長すぎて人としての感情が既に死んでしまっているのだろうか?
私には彼女の苦しみが、魂の叫びが伝わらないくらい心が麻痺してしまっているのだろうか?
多分そうだろう。不都合な事実から目をそらす技術だけは誰にも負けない人間になっていた。いつの間にか。
私は絶望する彼女を救うことができなかったし、今回も出来そうにない。
ただひとつだけ言えるのは今、嫁さんを死なせるわけにはいかないということだけだ。この点にかけて私は必死だ。
必死で彼女の命だけは守らなければならない。何を犠牲にしてでも。
おわり