大切な人との死別を体験したことがある方ならわかると思うが、精神的に参ります。落ち込みます。
もう二度と会えない人との想い出をあれこれ思い出しては涙を堪える。
気分が落ち込む。
落ち込むと活動的になれない。
顔から笑顔も消えて一日中気分が塞ぎ、絶望感に苛まれます。
朝は寝床からおきたくないし、腹が減ってもご飯を作る気にもならないし、食べたくない。
何もしたくないし、やる気も起こらない。
いわゆる悲嘆と言われ、英語ではグリーフィングと言うらしい。
人間として当たり前のことであるが、この悲嘆からの回復力には個人差がけっこうあると私は思う。
もって生まれた思考の癖だったり、大人になるなかで身につけた考え方だったり、或いは宗教感も関係していると思う。
私は無宗教だし、神も仏もあまり信じていない。だから神社仏閣で祈ることもしない。
思考もどちらかと言うとネガティブ思考だし、性格はネクラではないが決して明るくはない。
コミュ障だし、おしゃべりで気が紛れるということもない。
だが、悲しいかな社畜として仕事をこなしていると悲しいことを考える思考の余白がなくなり、結果的に悲嘆からの回復に役立っていたと思う(経験上)。
私が無職でやることもなくブラブラ生きていたら、悲嘆からの回復には相当の時間がかかっていたに違いない。
ここで私の義理の叔母さんについて書きたい。
彼女は8年前の事故で実の兄を失った(私の義父にあたる)。大変な時期を一緒に乗り越えた。
そんな叔母さんと昨日の祖母の葬儀で久しぶりにに会った。
もう60を越えているはずだが、長年勤めたスーパーでパートとして週5で働いているそうな。クレーム対応から伝票処理まで幅広い業務をこなしているそうだ。
未だに働き続ける理由を聞くと、
- 家に居ても何もやることがないし、同居の姑と二人きりとなるのが怖い
- 職場にいたら職場仲間ともしゃべれるし、気が紛れるし、気のあった人と旅行も行って気分も晴れる
といった回答が返ってきた。
早く社畜を卒業したい私とはある意味真逆の考えではあるが、叔母さんの気持ちはわかる気がするのだ。
仕事が生きる苦しみを緩らげてくれる鎮痛剤のような効果を持っているのだろう。或いは麻酔薬といった方がより正確な表現かもしれない。
経済的な理由で働いているわけではないことは確かだ。
叔母さんにとってもあの事故から立ち直るのに相当な時間を要した。途中、ストレスで髪が抜けてツルツルになったそうだ。女性だから髪を失うのは辛かったろう。
叔母さんにとって規則正しい生活の基礎である仕事は救いだったのだ。
今日は嫁さんと二人で静かに過ごしている。
昨夜は睡眠薬を飲ませて眠らせた。
ずっと緊張しっぱなしで殆ど眠れなかったはずだから体も弱っている。
早朝、眠りから目覚めた際、祖母が亡くなったことが受け入れられず、また泣いた(夢であって欲しい…)。
私は彼女の背中をさすって一緒に悲しむことしかできない。
だが、私は明日から仕事に戻る。まだプロジェクトの続きで深夜の電話会議が続いているらしい。
嫁さんが心配なので残業は極力しないが、こんなときだからこそ仕事は集中して取り組みたい。
おわり