この記事を書いているのは平成最後の日ですが、この記事をアップする頃は世の中は令和になっていると思います。
令和初日に書くような内容なのかイマイチでありますが今日は私の雑感です。
先日、池袋であった高齢者ドライバーの事故の件です。
不幸にしてお亡くなりになった母子の冥福をお祈りします。また、事故によって大切な家族を失った方々の傷が癒えんことを祈ります。
こういう高齢者の痛ましい事故が起こる度に事故を起こした本人や免許返納を含む自動車免許制度へ怒りの矛先が向きがちです。
免許制度を改めるのは私も賛成ですし、それによって一定の事故を防げるのであれば税金を投じてでもやらないといけません。
警視庁のホームページを覗くと今の制度では75歳以上のドライバーは免許更新時に「認知機能検査」を受けることになっています。
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/smph/menkyo/koshu/koshu/over75.html
しかし、池袋の事故を起こした方は高齢ではありますが、痴呆や認知症を患っていたという報道はないようです。
とすると、頭はボケておらずしっかりしていても高齢者の運転は今回のような惨事を招くリスクがあることを意味しています。
今の免許更新制度に欠けている視点は「身体機能の低下」ではないでしょうか。
年を取れば人間誰しも足腰も弱り、動体視力は落ち、とっさの動作への反応も遅くなってしまいます。つまりそれって車の事故をそれだけ起こしやすいということですね。
全ての高齢者に身体能力検査受けさせるのは酷な気もしますし、実現性含め疑問点もありますけど、身体能力の衰えは事故に直結するので、その視点も踏まえ総合的に免許更新可否を判断すべきだと思います。
また、免許期間中も身体機能は衰えますし、持病が悪化することも有り得ます。車の運転は危険だと医者が判断すれば免許停止措置が取れれば悲惨な事故を防げるかもしれない。
が、今日の記事は制度のことではありません。自動車業界にも一言苦言を言わせてもらいます(マスコミや新聞は何も言わないけど)。
高齢者の車の事故の100%がオートマ車です。
オートマ車は操作が簡単で、運転者にとって楽なのはわかります。ミッション車の操作の煩わしさは私も運転するので実感としてリアルに知ってます。
オートマ車はアクセルペダルを踏めば加速し、ブレーキペダルを踏めば減速する。楽です。何も考えなくても車を走らせれる。それが受けて日本で走る車の大半はオートマなのも理解はします。
けど、車メーカーはそこにあぐらをかいで、オートマ車にお年寄りが乗ること、それによる死亡事故のリスクをあまりに軽視しすぎじゃないだろうか。
私は何も全オートマ車にミリ波の自動ブレーキを搭載せいとは言わないが、車メーカーはどこまで今回池袋のような悲劇が起こるリスクを考慮したのだろうか。疑問だ。
もの作りの技術者なら知らない人はいないと思うが、フェールセーフという考えがあるのをご存じだろうか。
以下、ウィキペディアから引用したい。
フェイルセーフ(フェールセーフ、フェイルセイフ、英語: fail safe)とは、なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ。
車の開発者はなるほど各部品の不具合やシステムの誤動作に対しては念入りにその対処をしているだろう。運転者を含め死亡事故が起こらないよう最善の安全品質を確保しているはずだ。
車の製造や設計に起因する死亡事故は私が記憶している限り乗用車においては皆無だと思います。これは誇るべきこと。
ですが、車メーカーは運転者の高齢化による身体的な衰えを過小評価しているのでは?
欠陥をもつパイロットが運転した際もそれによってもたらされる被害を最小限食い止め、パイロットも周囲の歩行者も死なせない。その設計思想が足りてない。
高齢者が運転する車が暴走して歩道に突っ込む事故が起きて、事故を起こした高齢者のせいにするのは容易いこと。
本質はそこじゃなくて、楽チンなオートマ車のフェールセーフがキチンと確保されないまま普及してしまったことです。
今回の事故は暴走だった。アクセルペダルにおいた足が何らかの理由で固定されてブレーキを踏めなかったと思われる。
これはミッション車であれば起こりにくいことだ。事故を起こす前に何回も発車と停車を繰り返すわけだが、ミッション車の場合は足のペダル操作とシフトノブの操作が複雑で、足の異変に気付きやすい。
例えば一速でアクセル踏みっぱなし状態に陥ったらエンジンの回転数が上昇し大きなエンジン音がする。それでまず異変に気付く。それに一速だとどれだけエンジンを噴かしても速度は出ない。
また、よく言われることだがコンビニ駐車場で発車する際、「D」と「R」を間違えて車が店に突っ込むなんてことはミッション車であれば起こり得ない。
高齢化に向かう日本においてオートマ車の普及が今回の池袋や日々起こっている老人ドライバーの暴走の発生を高める可能性があったこと、当時の業界は知らなかったわけがない。
このオートマ車の功罪は非常に大きいと思います。
やがて新技術がこのような不幸を完全に撲滅できる日がくるかもしれませんし、それを信じていますけども、ユーザーの快適性はその安全性を犠牲にして成り立つのはおかしい。
順序が逆じゃないか。安全性を担保できる技術があって初めて快適性を実現すべきだったのだ。
日本にオートマ車を走らせるのは安全性を担保出来ない中、早すぎる決断だったってことをもう少し大きな声で訴える人がいてもいいと思うが。
人の命を乗せて走る車。一歩間違えば他人を巻き込んで大惨事になる。メーカーも役人もこのことを今一度よく考えて欲しい。
おわり