先週末は久々に映画館まで足を運んで「パターソン」というアメリカの映画を見てきました。
HPに載っているストーリーを紹介します。
ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。
この映画はヒットしないだろう
ストーリーを見るだけで退屈な映画(恐らく殆どの人にとって)であろうことは察しがつくのですが、実際みると想像以上に退屈な映画でした。
こりゃ、大きな映画館では上映できないな。私のような変わり種が見に来る街の小さな小さな映画館には相応しい映画だと思いました。
CGもないし激しい銃撃バトルもなし。予算はそれほどかかっていないのかもしれませんね。
でも個人的にはすごく気に入っている。
後からジワジワ面白味が溶け出てくるみたいな魅力がこの映画にはありました。映画を見るというのもたまにはいいものだと思いました。
平凡な人生
この作品を見ていると平凡な人生とは何かについて考えさせられる。
映画の舞台となったパターソン市は恐らく貧しい場所です。映画の雰囲気からそれは十分読み取れます。
朝決まった時間に起きて決まった時間に朝食をとり、出勤する。そして決まった時間に帰宅して妻と夕食をとり、犬の散歩がてらいつものバーでビールを一杯だけやる。
そんな毎日の繰り返し。
私自身を振り替えると実はそういう生活パターンの固定化という暮らしは悪くないと思ってますし実際今の私に近いものがあります。
こんな何も刺激のない平凡な人生なんて嫌だと思う人もいると思いますが、私は逆で心地よい生活リズムというものが確立しているならむしろそこから外れる冒険を嫌う傾向があります。
伴侶の大切さ
この作品の主人公の妻はイラン系の移民です。物静かな主人公に比べて明るく、少し天真爛漫な性格のようです。
主人公の唯一の趣味は詩を書くことです。この詩は実は全て妻宛に書いたラブレターだということが何となく映画を最後までみて感じたことです。
彼の詩が実は愛する妻に宛てて書かれたラブレターであると認識して映画を始めから観るとまた楽しめる気がします。
この作品から伴侶を取れば映画として成立しないくらい重要です。
主人公の一見なんのへんてつのない日常も彼女がいてくれるからであって、それが詩の一節で語られます。
詩人はスマホもインターネットもやらない
もうひとつ私が共感したのは主人公は携帯電話ももたいないしネットもしないということ。
作品の中でバーのマスターから「なぜスマホを持たないんだい?」と聞かれるますが、主人公は単になくても大丈夫。妻も理解してくているから。と回答します。
ちなみに妻はスマホもネットもやります。ネット通販で買い物も普通にします。
でも、主人公には必要がなかった。
つまり彼を取り巻く世界というのは彼が実際出会う人々との世界であり、ネットを介した仮想世界を必要としていないということ。
最後に重要な役を演じる永瀬正敏
失意に沈む主人公を暗に励ますけっこう重要な役として永瀬正敏がなぜか登場します。
少し間抜けな日本人を演じていて少し笑えました。
おわりに
主人公が通うバーの常連客にこんな黒人の兄さんが登場します。女にフラれて落ち込み、自暴自棄になってあることをしでかすのですが、これ以上言うとネタバレになりますので、言いません。
この役者、誰かに似てるなぁーと思ってたんですが名前が出て来なくて。
ようやく思い出したのが芸人の宮川大輔でしたw
おわり