義理の祖母の法要に出ると当然ながら嫁さん方の親戚の方々と会うことになる。
つまり、それは私にとって完全アウェーの戦いとなる。
私とは血の繋がりがない人たちばかりだし、また昔から知ってるわけでもないので話が盛り上がらないのだ。
それにコミュ障だからこれといって気が利くことを言ったり出来ない。おしゃべりは本当に苦手だ。
ご縁さんが帰った後の親族同士のくっちゃべり中、私は終始居心地が悪いというか、身の置き場がないというか、落ち着かなかった。針のむしろである。
そんな私を見て気の毒に思って気を遣われるのも悪い気がするし、私はいたたまれなくなって外に出て周辺を散歩したりしてしばらく時間を潰した。
それでもずっと散歩してるわけにもいかず、時折家に戻って様子を見るのだが一向に解散となる気配がなく正直困ってしまった。
特に小さな子供たちがワーワー騒いで大人たちも一緒になって子供をあやしていている。
そして大人たちは赤ちゃん言葉でギャーギャー騒ぐ子供をあやしている。
私も一緒になって赤ちゃん言葉で子供の相手が出来ればいいのだが、残念ながら私はそのような性分ではないらしい。
小さな子供に、しかも血の繋がりもない子供に興味が持てないのだ。赤ちゃん言葉でこの子達と接するというのはまさに私にとっては神対応と言ってよく、とても素面でできることではなかった。
もし血の繋がりが多少あったところでやはり私には子供をあやしたり、戯れるということは苦手なんだと思う。血の繋がりなど関係なく小さな子供は苦手なんだと思う。
不思議なことに子供もそれが分かるらしい。私のところに寄ってくることはない。彼らが私に近づいても私はニコリともしないから当然かもしれないが。
私が子供だった頃、周囲には世話を焼く大人がたくさんいたように思う。親戚のおじさん、おばちゃんなんかも優しく接してくれた記憶しかない。
私はどうやらそういう優しい人になれなかったようだ。
そんなことを思うと少し悲しい気分になってしまうが、こればっかりは自分の性分なので今更矯正も出来ないし、仕方がないと思って諦めるしかないかと思っている。
もう法要はこりごりだ。こんなことをやって死んだ人間が生き返るわけでもなし。
一周忌とか三回忌とか私はこれからは出席は控えよう。多分、向こうもこんな陰気な奴の顔を見ずに済むから清々するはずだ。
こういう時にコミュ障って損な性格だよなと思う。
おわり