日本人はよく勤勉だと言われるが、先進国の中では労働生産性は劣る。
OECD加盟国35ヶ国の中で日本の順位は20位で、先進7ヶ国の中ではダントツのドベとなっている。
シエスタ(昼寝文化)の国であるスペイン人よりも日本人の方が生産性が劣るというのはなんだか解せないが、ちなみにスペインは17位だ。
ちなみに私の知る限り欧州も米国人も一般的に残業はしないし、有給休暇も日本人より多く取る。つまり総労働時間は日本人より少ない。
にも関わらず生産性はぶっちぎりで負けている。欧米は時間当たりの効率がいい。つまり、限られた時間できっちり結果を出してるってことだ。
一方、日本人は結果よりそれにかけた時間が重視されるという精神文化がある。この最新文化を破壊しない限り生産性は他国に負け続けるだろう。
日本人の横並び主義とか自己犠牲を美徳とする精神文化、はたまた上司への忖度とか実に下らない文化が長時間労働の温床であることは間違いないのだが、では一体なぜそんな精神文化が浸透しているのだろうか。
歴史学者の磯田道史氏が面白い説を唱えていたので紹介したい。
それは江戸時代にまで遡るという。
江戸時代、農業が国の社会の基盤だったわけで、米が通貨のような性質を持っていた時代だ。年貢は米で納めていたことからも如何に米が重要だったかわかる。
つまり、米をたくさん生産できた人間が裕福になった。米をたくさん作るためには勤勉に働かなくてはいけなかった。種籾の選別、土壌管理、水の管理、雑草や病害虫の管理等々、収量を上げるためには実に多くの時間を労働に回す必要があったし、不断の努力が求められた。
そうした努力ができた者はより富を形成しやすかったし、そうした者が結婚が早かった上にたくさんの子孫を残すことができたというのだ。
そうして生産性が低い他の農家の土地も取り込んでいき、豪農と呼ばれる階層が生まれた。鈴木とか佐藤という名前がやたらと多いのはこうした背景があったらしい。
私達の体にも江戸時代の働き者の百姓の血が流れているのだ。日本人が働き過ぎる原因は遺伝子レベルで刷り込まれた精神文化だというのだ。
稲作農耕文化と狩猟採集文化の違いが日本サッカーと欧州サッカーの本質的な違いだとかそんな話があったが、それに近い説だと思った。
本当かどうか定かではないが、働き過ぎる原因が遺伝子にあるなら、今後はそういう人間の遺伝子は淘汰されるのではないか?
仕事の効率が悪く無駄な残業ばかりやっている連中はきっと早く結婚できないし、遺伝子を残すこともできない。
一方、仕事を定時でこなして残業せずに帰る連中はプライベートに割く時間も多いわけで異性にもモテるはずだ。だとすると子孫をより多く残せる可能性も高い。
それでいいんじゃね?と思う。この世から残業とか長時間労働という言葉が絶滅してくれることを望む。
おわり