同じ100万円という札束が持つ価値というものはそれを手に入れた時の人生のステージによって価値がずいぶん異なる気がする。
金がなかったけど時間はたくさんあった大学生の頃の100万円と43歳となった今の私にとっての100万円の価値は全く異なる。
裕福な家庭ではなかった私は学生時代は貧しかった。金がなかった。
だが今はサラリーマン生活も20年近くたち、金に困るということはない。むしろ金はあるが時間がないといった有様である。
だから同じ100万円をもらってもその価値は全く異なるのだ。
今の私にとって100万円の価値はたかがしれている。得たところで何の感慨もないが、学生時代に得られる100万円の価値は想像しただけで筆舌に尽くし難い。
数年前に両親が生前贈与ということで100万円を私の口座に振り込んでくれた。
ありがたいことではあるが、全く嬉しいとかそういった感情は湧かなかったものである。
なにせ100万円の使途がわからないからだ。せいぜい株式投資に使うかもしくは住宅ローン返済に充てるくらいの使途しか思いつかないのだ。
学生時代にぽんと100万円渡されて自由に使って良いとなれば、いろんな可能性があったろう。
海外を放浪してもいい。留学だってできてしまうかもしれん。ひょっとしたらそれがその後の人生を大きく変えた可能性すらある。
金の使いどころ、金を使うタイミングというのは人生そのものを大きく左右する重要な要素であったわけだが、残念なことにそのことに気づけるのはもっともっと後のことなのだ。
おわり