過去の自分から今を知る(高校編②)

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理人です。

今日も定時で仕事を切り上げて、6時のひかりに乗っています。

それにしても暑いですね。外回りの営業マンの方や外での作業に従事されている方には頭が下がります。

さて、自分を振り返るシリーズの続きを書きたいと思います。過去記事はこちらのリンクをどうぞ。

過去の自分から今を知る(幼稚園から中学編)

過去の自分から今を知る(高校編①)

高校の授業がつまらなさすぎてすっかり燃え尽き症候群みたいになってしまい、毎日灰色の高校生活を送っていました。

将来、何かやりたいことも見つからず、悶々とした日々を過ごしており、ゲームに逃げる日々。

結局、たまりかねた親はTVとファミコンを取り上げてしまいました(これは正解でしょうね)。

叩いて言い聞かせるような年齢ではないし、親も困っていたと思います。

高校2年の担任と親との三者面談で進路について聞かれた際、私は「将来船乗りになって色んな国に行きたい。だから船乗りの学校にいく。例えば神戸商船大とか東京商船大とか」と言い出しました。

そんなこと初めて聞かされた母親は仰天しました。担任も「文系の学生が商船大学??」と当惑していたようでした。子供が「将来はパイロットになる」と言っているように聞こえたのでしょうね。唐突でしたし。

なぜ、私が船乗りになりたいなどと言い出したのか・・・?それがわからないようでしたね。私も稚拙だったので、うまくなぜ船乗りになりたいのか十分な説明ができなかったとも思います。

まあそれを差っぴいても親も担任もまともに取り合ってもらえなかったと思います。

船舶関係=危険な仕事という偏見(実際そうかもしれない。陸の仕事よりは事故のリスクはあるかも)がそうさせたのでしょう。

腹を痛めて生んだ子供をどうしてそんな危険な仕事に就かせられるものか!と母親が泣いてやめてくれと頼むのです。

私はほとほと参ってしまいました。こうも自分の生き方を親は干渉したがる生き物なんだなと。

父親も母親も直接口にはしなかったけど、ちゃんとした大学にいってちゃんとした仕事につけということですね。

大学に進学する理由をたびたび私の父親は「大学卒業出ていれば職業選択の幅は高卒よりも広がる。だから取り合えず大学に行って損はない」みたいなことを言ってました。

今の時代は逆に大学で時間を浪費している方が後々大変みたいです。20年前は就職氷河期ですから大卒だったらどこでも採用されるほど世の中甘くはなかったです。

兎に角、親を泣かせてまで船乗りになるのはどうか、という気持ちになってしまいました。この時点で私は人生の大きな選択をしたことになります。大学進学はその後の人生の軌跡を全く変えてしまうことになります。

ただ、この頃から私は大学進学する目的はただのモラトリアムに非ずという思いを強くしていくことになります。

船乗りの話は親に反対されたくらいで諦めるということはその程度だったのでしょう。しかし、大学進学以外に何かやりたいこともなし。進学してもいい、金は出してくれるというなら、早く家を出たいという気持ちも出て来ました。

後は目標が伴えば完璧です。

自分の学力の問題もあるけど、自分は一体大学で何を勉強したいのか?これが重要でした。そしてその延長にはどういう人生を送りたいのか?というもっと大きなテーマが控えているのでした。

ある意味哲学的なこと、つまり「何のために生まれて何ために生きるのか」が高校生の私を大いに苦しめましたね。その結論を得ずして受験勉強などくだらないことに集中できなかったのです。

それでも時間だけは容赦なく進んでいきます。答えのでない悶々とした日々。今から思えばこの時代は決して楽しくはなく、むしろ苦しかった記憶しかないです。

そして、ようやく自分なりに出した結論が、農学部への進学でした。

農学部というのは以外とカバー範囲が広いのですね。別に農業をしようと思ったわけではありません。

砂漠の緑化の研究をやっている大学があると。

それを聞いて、色々書籍を読んだりして、情報を集めました。面白い。サハラ砂漠を緑地にできれば人口問題も飢餓問題も解決するのではと思いました。

どうせ大学で勉強するのなら、こんな壮大な夢を追いかけてみたい!真剣にそう思うようになった時、私から迷いというものが消えて、真剣に机に向かい受験勉強に本気で取り組みことになったのでした。

これが高校2年の秋-冬のお話でした。

つづく

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