ちょうど今から10年前、私は前職を辞め、今の職場がある静岡にやって来た。あの時の情景は今でもはっきりと覚えている。
東京駅を発って動き出した新幹線、移り行く車窓からの風景、静岡に降り立ったときの感情、これからの生活への不安と期待が入り交じった複雑な感情。
まるで昨日のことのようだ。
10年経った今でも私は静岡に住んでおり、紆余曲折あるものの田舎でのサラリーマン生活をそれなりにエンジョイしている。
プライベートでは嫁さんの病気で辛いこともあるけど、何とか二人で慎ましく生活できているし、私自身大きな健康上のトラブルもなく40歳という節目の年を迎えることができた。
これまで10年間の歩みを紆余曲折という四文字で集約したが、涙なくして語れない…泣
というのは半分冗談だが、時系列で振り替えってみたい。
私は転勤族などさらさら不本意であるのだけど、転職先を間違ってしまい、国内転勤はあるは海外出向も普通にある会社に転職してしまった。10年前に戻れるなら今の会社は選んでいないだろう。
一度目の転勤のオファーは転職して3年目くらいにあって、当時はインドに行かされそうになったっけ。嫁さんがうつ病を発症して一番大変な時期だったから断ったのだけど。
その後、激務をこなしながら何とかやっていたが、転職して5年後に東京本社への異動を命じられた。
「東京暮らしが嫌で転職して移住したのにまた東京かよ」
そう思って会社を恨んだものだ。幸い?新幹線通勤が認められていたから静岡と東京間の往復4時間の通勤地獄が始まり、そんな生活を4年半も続けることになった。
実は本社時代に海外出向の話もあった。赴任先は米国であった。私のサラリーマンとしてキャリアを考えれば行きたかったのが本音ではある。
だが、嫁さんの状況は改善が見られてはいたものの、やはり連れていくことは断念せざるを得ない状況で、2回目の出向話も結局ご破算になった。
このことをうちの両親は快く思わなかったようで、その後関係がギクシャクすることになり、いまだにしこりが残っている。
そして今春、人事異動で再び古巣の静岡へ舞い戻ったのである。
今はバリバリのプレーヤーというよりも少し管理側の立場になったが、相変わらずこの職場は忙しい。残業が当たり前の文化が残っている。
忙しいしストレスを感じるときもあるが、優秀な同僚に恵まれているし、何とかやらせてもらっている。まだ続けていけそうだ。
ひょっとしたらもう海外出向話はないかもしれない。嫁さんの病気は多分良くならない気がしてきたし、そんな嫁さんを残して遠い異国には行けない。
だったらもう静岡で永住することを覚悟すべきなんじゃないだろうか。最近はそう思うようになった。
嫁さんも静岡自体は住みやすいところだと言っているし、私自身静岡は好きだ。静岡には海も山も川も温泉も旨い肴と酒も揃っている。田舎過ぎず都会過ぎず。両方をいいとこ取りしたような場所が静岡だと思う。
だが、できれば会社にしがみついて生きたくない。このまま会社が静岡で仕事を与え続けてくれる保証はないからね。
いつか戦力外通告される日が来るかもしれない。そうなったとき、慌てなくてもいいようにしておきたいが、資産運用といっても額がしれているからなぁ。心許ないものである。
ま、悩んでいても仕方がない。目の前の仕事を丁寧にきっちりこなし、後輩の育成にも力を入れていこうと思う。そうすれば自然と道は拓かれていくと信じて。
「りひと君が会社からいなくなったら困るよ」そういって貰えるよう頑張ろうと思っている。
おわり