はじめに:「本社勤務、おめでとう」…その言葉が刺さった朝
4年前、私は本社への異動を命じられた。
親に報告すると「それはすごいじゃないか」と言われた。東京本社、大手企業、エリート。世間ではそう映るのだろう。
だが、本人の私は正直こう思った。
「ああ、ついに来たか。社畜の墓場に」
本社勤務=出世コース?いや、むしろ左遷だと思う
世間のイメージはこうだろう:
- 本社勤務=出世コース
- 東京勤務=花形ポジション
- 給与も役職も上がる=羨ましい
だが、現実は全く違う。本社に行って分かった。そこは現場から切り離された、目的の見えない空間だった。
本社とは「最大のコストセンター」である
まず本社の機能を整理しよう。
本社とは、現場の支援や経営を担う間接部門の総本山であり、利益を生まないコストセンターだ。
製品をつくるわけでも、サービスを提供するわけでもない。
それなのに高給な社員がぎっしり詰まっている。まるで巨大な人件費の塊だ。
現場との距離がすべてを空虚にする
本社は現場に命令を出す。だが、その命令の根拠は現場から吸い上げた情報にすぎない。つまり――
- 電話で聞く
- メールで質問する
- 会議で詰める
これらが「本社の仕事」だ。要するに、現場の時間を奪うことが本社の業務になっている。現場からは「時間泥棒」と揶揄される。
しかも権限はない。決定権も裁量もなく、報告書をひたすら上に流す日々。
やってる本人すら、「この仕事、誰の役に立っているのか?」と疑問に思うレベルだ。
加齢臭と覇気のないオフィスに4年間いた結果
満員電車に揺られ、ビルに吸い込まれた先にあるのは、活気のないオフィス。
覇気ゼロ、そして漂う加齢臭。
やる気が削られ、気力もすり減る。
私は本気で「もう辞めよう」と思った。
なぜ本社には“うだつの上がらない中年”が集まるのか?
終身雇用と解雇規制のもとで、企業が余剰人員を抱えると、その“行き場”は本社になる。
- 現場で戦力にならない人
- 外には出せない人
- どこにも所属させられない人
そういった人たちが、本社という「居場所」に送られてくる。
だから本社は、現場の墓場=社畜の墓場になるのだ。
経営者も本社のムダをわかっている、けれど変えられない
企業のトップも、本社がムダだということは理解しているはずだ。
- 意思決定のスピードが遅い
- コストが高い
- 成果が見えない
でも、改革できない。なぜなら、本社をスリム化するにはリストラが避けられないからだ。日本ではそれができない。
つまり、本社改革とは「禁断の果実」なのだ。
本社を去って1年、振り返って思うこと
私は今、本社を離れてちょうど1年が経った。
戻りたいか?…いや、二度と戻りたくない。
自分の意思で動き、自分の責任で成果を出せる――現場の方がよっぽど健全だ。
まとめ:「本社=栄転」という幻想を疑え
本社勤務は確かに聞こえはいい。
だが、その実態は「現場から切り離されたコストセンター」であり、多くの社畜が埋もれていく墓場だ。
これから本社に異動する人がいたら、私は一言だけ伝えたい。
「期待しすぎない方がいい」
その場所には、華やかさも達成感も、ほとんどない。
あるのは、冷めた空気と、こじれた上下関係と、消化されないモヤモヤだけだ。
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