FIREは向いていないのかも

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このブログを書き始めたのは今の仕事が嫌でたまらなかったことからある意味現実逃避の目的がありました。

仕事だけだと自分がおかしくなりそうで、ブログを書くことで仕事以外の何かをしたかったというのがブログ開設の動機でした。

ブログ開設したのが2017年だったのでそろそろ4年たつのか。早いものです。

私を苦しめてた仕事ですが、精神的な苦痛は随分軽くなりました。部下ができたことが大きいと思います。

相変わらず上司との仲は微妙ではありますが、基本的に好きにさせてもらえているのでこれ以上を望むのは贅沢というものです。

そして最近思うのは私はFIREには向いていないかもということ。

今の生活から会社を取ったら何も残らない気がしています。会社に属しているから社会に属しているのであり、そうでなくなった瞬間私は無職のただのおじさんになってしまう。

誰にも見向きもされず、誰にも必要とされず、ひっそりと孤独に生きていくことになると思うと背筋が凍る思いです。

思うにFIREできる人というのは仕事以外に明確な人生の目的というものがある。会社を続けていては決して成し遂げられない目的があり、そのためにFIREを志すのです。

なんだっていいけど、例えばボランティア活動をライフワークにして生きていくとか。兎に角何か自分の人生で実現させたい目標が必ずあると思うんです。

私にそんな大それた目標などあるはずもなく。FIREしてまで何かを成し遂げたいことがないんです。

そんな中途半端な人間が金があるからといって会社を辞めてもきっとロクなことにならないと思うわけです。

毎日が日曜日になると素晴らしいと全く思えなくなりました。何もしなくていいという恐怖。これは理解できる人には理解できるだろうし、できない人にはできない。

私が日曜日にやっていることといえば朝から晩まで呑んでいるだけです。それが毎日になったらどうなるか…?結果は明らかできっと私は朝から酒浸りの生活になるに違いない。そして完全なアルコール依存症おじさんになるのだ。

それだけは嫌だ。薬物依存者になって死んでいくのは嫌だ。

だから私のような人間は例え社畜と罵られても働くことを通じてしか社会の役に立てない。働くことをやめたら価値がないどころか社会のお荷物になってしまう。

最近そんな風に考えるようになりました。つまり私は名実ともに真の社畜と化したということです。そんな時社畜も悪くないと思うようになりました。

おわり