理人です。
ツイッターを始めてみると色んな人がいるもんだなぁと関心してしまいます。
共感できる場合あれば共感できない場合もあったり様々ですけど、基本的に自分が居心地がいいと思えるツイートだけをフォローしていればいいので、気が楽ですね。
安っぽいプライドなんて捨ててしまえ
偶然、ある方のツイートをフォローしていると、なるほどなぁと思える素晴らしいツイートを発見しました。
それが今日のタイトルにもあります「安っぽいプライド」なんですよね。
安っぽいプライドなんて捨ててしまえ。そんなもの仕事の邪魔でしかない。
これがその方のツイートでした。
なぜかこの言葉、私の胸に深く突き刺さってまして、「そうだよな。安っぽいプライドなんてもってっから仕事で余計なストレス抱え込むはめになる」と思うようになりました。
24時間のうち、実に9~10時間は仕事に時間をあててるわけで、この時間、如何に苦痛を減らし、居心地のよさを追求していくかで、人生けっこうかわるかもと考えるようになりました。
安っぽいプライドを捨てるというのは具体的にどうするのか
私が実践しようと思っているのは特にメールですね。サラリーマンのコミュニケーションツールとしてもはや業務の殆どがメールを介した作業ですから、メールを制するもの仕事を制するといっても過言ではありません。
で、どうするかというと、まず謝罪から入ろうと思っています。
今のままだと間違いなく軋轢を生む
例えば今回アメリカ出張中に締め切りを迎えていた提出物があったのですが、出張準備やらその他の案件の処理で忙殺されていてつい納期を忘れていたのです。
それを同じく出張中の上司からフォローを受けたのですが、今までの私なら謝罪から入らず、言い訳から入っていたのですね。
それはやはり私の安っぽいプライドがそうさせていたのです。心境は「てやんでぇ、出張中にそんな作業できるわけねぇだろ!てめぇの管理能力の問題だろうがぁぁぁ。てか、おめえが手を動かしてやればいいだけだろが。このタコ!」という感じです。
こういう感情を持ったままメールの返信文を書くと行間に怒りが滲み出る文章になってしまい相手にもそれが伝わってしまうのです。
上司も人間なんだと思う
上司も人間ですから、飼い犬(私のことです)から吠えられると鎖をぐいっと引っ張りたくなるのでしょうね。それは理解しないといけないなと思いました(ずいぶん大人になったもんだ)。
私の部署には30歳手前の若手?がいますけど、彼がそういう態度で私にたてついてくるならやっぱりいい感情は沸かないですからね。逆もしかり。
なので、まあ100%こちらに非がない場合は除いて、まずは謝罪から入ろうというルールを設けようと思っています。それも、「すみません」ではなく、「大変申し訳ございません。失念しておりました」までへりくだります。
しかし魂まで売らなくてもよい
でも、私は魂まで売っているわけではないことは付け加えておきます。本気で謝っているわけではなく、面と向かって頭を下げるつもりは毛頭ありません。あくまでも機械的にこのいかにもへりくだった謝罪を書いておけば万事OKなのです。
この割りきりは大切なのではないかと思うようになりました。
そう。安っぽいプライドなど捨ててしまいましょう。
おわり