社畜あるある(判子リレー)

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日本企業に長年勤めている方なら骨身に染み込んでもはや疑問にも思わないのかもしれないが、私は判子リレーというのが大嫌いでサラリーマンがクソだと思う理由の大半はこの下らない意思決定の仕組みにある。

実に下らないのだが、来客者に100円のミネラルウォーターを出すのに申請書を書いて課長にあげないといけない。そして事後に結果報告を兼ねて精算する手続きが必要だ。

そりゃ会社の金を使うから透明性は確保しないと不良社員が横領や着服するかもしれないし、そうなったら不祥事となって経営層も困る。

確かに経費管理には判子リレーが必要だとしても、100円の水なんてどうでもええやん。まとめて買ってどこかでに置いておけやと言いたい(実際言っている)。

来客がある度にこんな馬鹿なことで時間を取られるのはホントにクソだ。オフィスには社畜専用の無料サーバーがあるが、流石にお客さんにサーバーの不味いお茶やコーヒー出せないさ。

万事がこの調子であり、とにかく何か物事を進めるのにいちいち上にお伺いをたて、判子をもらってからでないとできない。これはマイクロマネージメントの一種と言っていい。

マイクロマネージメントとは一言でいうと「過干渉」という意味だ。このせいで部下社畜の士気は下がりまくる。サラリーマンの目が死んでいる理由のひとつは過労もあるだろうが、自分の意思では殆ど仕事を進められないという息苦しさも多分にあると私は考えている。

ことの重要性をアホな上司はわかっていない。優秀な若者から先に辞めていくっての。そして社内に残るのは隙あらば人の揚げ足をとるような小賢しい老社畜だけとなる。

この判子リレーの文化はこの会社にいる限り永遠に続く。たとえ偉くなっても。

課長になったら部長に判子を頼むし、部長はさらに上の役職に判子を求める。せいぜい社長になれば別かもしれない。

そして判子を斜めに押して上の役職者に敬意を払うサインや180度反対向けに押すと「本当は反対だけど今回は認めてやる」の上から目線のサインであったり、意味不明の判子文化が醸成されるのである。

アホなのか・・・?こいつら。

まぁいい。私は遅くともあと10年で社畜から脱出する。こんなバカみたいなことに一生費やしてられるか。

おわり