自慢話もサラリーマンの処世術

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5年近い本社勤務を経て、古巣に戻ったといえ随分留守にしていたわけで、仕事に慣れるのにはもう少し時間が必要かもしれない。

人も変わったし組織もずいぶん変わった。

もちろん私の上司も本社時代とは変わった。本社時代のストレスの大半は前の課長だった。そこから抜け出せたのだから喜ばしいことである。

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新しい上司はかなり優秀だと思う。頭はキレるし、弁が立つ。英語も達者だ。時々ディスカッション中に上司の英語が聞き取れなくてついていけない時もあるくらいだ。

この人を論破するのは難しい。

よくしゃべってくれるので、偉い人との打ち合わせや会食はお手のもの。一緒にいると心強い。

内容があまりないことでも課長が話すと説得力があるから不思議だ。決断を下すのも早い。

性格はどちらかというとせっかち。小動物のようにちょこちょこ動き回る。フットワークが軽いといったら誉めすぎか。

敵に回さず味方で良かった。まぁそんな感じの人だ。

そんな課長だが、気に入らない点がひとつだけある。

それはやたらと自分の手柄を主張するところだ。

大きな商談をまとめたとかそういう類いの話ではなくて、本当に小さなどうでもいいことで鼻高々にどや顔するのである。

「そんな小さなことどうでもよくね?」というような事柄でも自慢したいみたい。

中間管理職ってそういうものなのかな。やっぱり誰かに誉めてもらいたいのかもしれない。自己承認欲求が高いのかも。

思うに周囲から認められたいという承認欲求と会社でのポジションは比例する。偉くなっている人を観察すると全てとは言わないがそういう傾向は確かにある。

「自分の功績を相手が嫌味として受け止めない程度に主張する」というのはサラリーマンの処世術と言ってもいい。今の課長は私が少しうざったく感じるということはアピールが上手ではないのでしょう。

もっとも私はそういう処世術には疎く、自慢話は聞くのも語るのも嫌いだ。面倒くさい。過去より未来の方が重要だし。いちいち過去の栄光に浸っている余力はない。

ま、私のような不器用な社畜は仕事をちゃんとこなしていれば当面は問題ない。

だが、40代という微妙なお年頃であり、私もこのまま課長→次長→部長という出世のレールに乗るのか乗らないのか決断を迫られるだろう。

偉くなるなら自慢話のひとつやふたつは語れるようにならければいかんなと思うのであった。

おわり