社畜の自己犠牲に成り立つ日本の会社

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裁量労働制。文字通り解釈すれば仕事に一定の裁量が与えられていて何時に出社してもいいし何時に帰ってもいい。裁量=自由、なんだか甘美な耳障りの良い印象がある。

だが、実際はこの制度を社畜に適用すると弊害の方が多い。

同制度と一緒にみなし労働時間制がセットで入っているからだ。

裁量労働制を導入している会社の多くは月一定時間の残業時間が予め給与に含まれていているのである。

例えば月40時間の残業が予め給料に含まれていたりする。

40時間未満の残業しかしない社員にとっては非常にお得な制度であるが、月40時間以上残業する社員にとっては40時間を越える残業代は支払われない。

つまり責任感が強く、猛烈に働く社畜にとっては悲しいかな実質タダ働きを強いる制度だ。月80時間残業しようが100時間しようが給料は変わらない。

正直者、真面目に会社に尽くす人ほど疲弊してしまうというこの制度は、日本人の社畜が自己を犠牲にしても会社に忠誠を尽くすという前提の上に成り立っている制度といっていい。

「自己犠牲」。なんだか太平洋戦争末期の特攻作戦を彷彿とさせ背筋に寒気を感じるのは私だけだろうか。

経済は豊かになり、テクノロジーは格段に進歩して世の中は平和そのものなのになぜ日本人労働者はこれほどまでに追い詰められねばならないのだろう。

なぜ「過労死」や「過労自殺」といった言葉が日本には存在するのか。

会社に利益をもたらしたから何?

顧客の納期を守れたから何?

命をかけてやることかよ。

そんなの絶対おかしいだろ。狂ってるよ。もっと楽に生きようよ。

一人一人が人生の優先順位を真剣に考えて、残業を拒否すること。私ひとりが立ち上がったところで社会は変わらないが、みんなが立ち上がり長時間残業を拒否すればやがて大きなうねりとなって変革を引き起こすかもしれない。

労働組合が本来の役割を果たす時が来たのではないか。経営サイドの御用聞きのような組合は一旦ぶっつぶれた方が世のためだ。

おわり